BENRY[ベンリ―]

法学の予習ノート

阪神電鉄事件

阪神電鉄事件(ひらがな、句読点あり版)

《全 文》

 

【文献番号】27510360

 

損害賠償請求事件

昭和六年(お)第二七七一号

同七年十月六日第一民事部判決

【上告人】控訴人 原告 石野重子 外一名

訴訟代理人 日笠豊

【被上告人】被控訴人 被告 阪神電気鉄道株式会社

訴訟代理人 太田保太郎 佐野為助 本田由雄

 

 

       事   実

 

 上告人等(控訴人、原告)の請求の要旨は、亡定森徳市は被上告会社の経営に係る阪神電車軌道に於て、被上告会社(被控訴人、被告)の被傭人たる電車運転手の過失に因り轢傷せられ、之か為翌々日死亡したり。先是上告人重子は、媒酌人を介して、徳市と事実上の婚姻を為し、同棲したるか徳市の死亡当時に於ては遠からず婚姻届出を為すの議熟し、同人は事実上徳市の妻として扶養を受くへき地位に在りたり。而して、徳市は電柱運搬人夫として月収百円あり、重子は向ふ三十年間百円の補助を受くることを得べかりし地位に在りしものなれば、徳市の死亡に依り千八百二円七十五銭の損害を被りたり。又、徳市の死亡当時重子は徳市の子を懐胎し臨月なりしを以て、精神上多大の苦痛を受けたり。依て其の慰藉料として千百九十七円二十五銭総計三千円の賠償を求む。而して上告人寿雄は徳市死亡当時重子の胎内に在りし者にして翌月出生し重子の私生児として届出てられたるも、若、徳市にして生存し居りたりとせば、同人が重子と婚姻したる結果、徳市の嫡出子として出生し同人より愛育せらるべかりし地位に在りて、尠(すくな)くも満十五歳迄十五年間毎月二十円宛の扶養料を受く可かりしものなれば、徳市の死亡に因り其の得べかりし利益を失ひたるものと謂ふべく、且、生涯私生子としての苦痛を被るに至りたるを以て右扶養料二千六百三十五円三十四銭と慰藉料三千円を求むと云ふに在り。

 被上告人の答弁の要旨は、徳市の負傷死亡に関する上告人等主張の事実は、之を認むるも、其の余の事実は、之を否認す。仮に重子が婚姻の予約を為し居たりとするも此の種の権利は第三者に対し主張し得るものにあらず、扶養権は義務者と特定身分関係を有する者に限りて之を有し得べく、慰藉料も亦(また)民法第七百十一条の身分関係を有する者に限り之を請求し得可きものなるに上告人等は徳市と此の関係を有せず、又上告人主張の損害なるものは徳市を死に致したる事実より通常生すべき損害にあらず。仮に一歩を譲り被上告会社に上告人主張の如き賠償義務ありとするも、被上告会社は、徳市死亡当時其の総ての親族縁者等と示談を為し、会社より総代なる徳市実父利之助に、弔慰金名義の下に一千円を交付し今後本件に関し一切の請求を為さざることを約したるを以て本訴請求に応ずるの義務なしと云ふに在り。

 第一審は、上告人等は、徳市より扶養を受くべき権利なき者なれば、直接に其の財産権を侵害せられたるものと云ふを得ず、又、徳市と民法第七百十一条所定の関係なき者なれば、慰藉料をも請求するを得ずとして上告人等の請求を棄却したり。

 原審は、同様の理由の下に、慰藉料の請求を排斥し、仮に徳市死亡の結果、上告人等の権利又は利益が侵害せられたるものとするも、被上告会社の被傭者に此等の権利又は利益を侵害すべき故意又は過失ありたるものと認む可き資料なく、上告人等の請求は既に此等の点より失当なるのみならず、徳市死亡の当時同人の親族一同は、訴外小林鉄蔵をして、被上告会社と折衝せしめ重子が寿雄を懐姙したる点をも考慮に加へ、会社より千円を受領し、将来請求を為さざることを約したるを以て上告人等の請求は其の孰(いず)れよりするも失当なりとし、其の請求を棄却したり。

 

 

       主   文

 

 上告人重子の上告、並、上告人寿雄の請求中三千円に関する部分に対する上告は、之を棄却す

 右部分に関する上告費用は、上告人等の負担とす

 原判決中、上告人寿雄に対する其の余の部分を破毀し本件を大阪控訴院に差戻す

 

 

       理   由

 

 本件上告理由第一点は、上告人の本訴に於ける請求の原因とする所は、被上告人会社の雇人高崎義夫の過失に依り定森徳市を死に致したる為、上告人石野重子は定森徳市の内縁の妻として同人より扶養を受けつつありし関係、将来、定森徳市と正式に結婚を為し、同人の妻として幸福なる生涯を送ることを得べき財産上精神上の一切の関係(仮に此の関係を婚姻の予約権と称す以下同じ)を侵害せられ、又、上告人石野寿雄は、其の出生前、父母の婚姻により定森徳市の嫡出子として出生し、同人より愛育せらるる状態に在る一切の関係(仮に此の関係を認知権と称す以下同じ)を侵害せられたるが為、民法不法行為の規定に依り之が損害の賠償を求むと謂ふにあり。而して斯る婚姻予約権、並、認知権の侵害せられたる場合に於ても、損害賠償請求権の存在することは嘗(かつ)て御庁大正十四年(お)第六百二十五号事件に於ても判示せられたるが如く、抑(そもそも)民法第七百九条の規定は故意過失に依り法規違反の行為に出て他人の利益を侵害したる者は、之に因りて生じたる損害を賠償する責に任ずと云ふ広汎なる意味にして其の侵害の対象は或は所有権・地上権・債権・無体権・財産権・名誉権等、所謂、一の具体的権利なることあるべく、或は、之と同一程度の厳密なる意味に於ては未だ目するに権利を以てすべからざるも、而(しか)も法律上保護せらるる一の利益なることあるべく詳しく言はば吾人の法律観念上、其の侵害に対し、不法行為に基く救済を与ふることを必要と思惟する一の利益なることあるべし。之を要するに吾人(ごじん=われわれ)の法律観念上、或る侵害に対し救済を与ふることを以て正当とすべきや否に依り、不法行為ありや否を決すべきものなるを以てなり。然らば上告人石野重子と訴外亡定森徳市との間の関係は法律上其の保護を与ふることを以て正当とすべきや否に付て按ずるに、上告人石野重子と亡定森徳市とは我国の従来の慣習に従ひ夫婦となりしものにして、一般社会の認めて夫婦と為すものなり。只、吾(わが)民法が従来の慣習に反し戸籍吏に届出することを以て婚姻の成立要件と為したる為に法律上夫婦と云ふこと能はざるも、斯の如き男女間の結合は単なる私通野合の関係と其の趣を異にし、公序良俗に反せざるのみならず、我国の現在に於ては期間の長短こそあれ法律上正当の婚姻を為す一段階として一般に認めらる所のものなるを以て、其の男女間の結合に依て生ずる財産上精神上の権利、並、利益の関係に法律上相当の保護を与ふるを以て正当とすべく、若し不法に之等の権益関係を侵害するものあるときは之に対し相当の救済を与ふべきものなることは、吾人の社会観念上又法律観念上、正当のことに属すと云はざるべからず(大正八年(お)第四七号同年五月十二日判決大正五年勅令第九百九十三号工場法施行令第八条同第十三条第三号御参照)。又、上告人石野寿雄は、上述したる法律上保護せらるべき関係にある亡定森徳市と上告人石野重子との結合の結果、懐胎せられたるものにして、吾人の経験則に照すときは、亡定森徳市にして生存したらんには、上告人寿雄の出生前に於て、定森徳市・石野重子は婚姻の届出を為すべく、随(したがっ)て、上告人寿雄は、定森徳市の嫡出子として出生し、同人の慈愛の下に其の扶養を受くるに至るべきものなることは、之を認むるに難からず、而して斯の如き原告寿雄と定森徳市との間に生ずへき財産上精神上の権利、並、利益が不法に侵害せられたる場合に之に対し相当の救済を与ふべきことは、吾人の法律観念上、又、民法第七百二十一条の規定の精神よりするも、前記工場法施行令第八条第十二条の規定よりするも当然のことなりと信ず。原判決は上略「仮に控訴代理人主張の如き所謂婚姻予約権、並、私生子認知請求権が被控訴会社使用人の為に同会社業務の執行に付、侵害せられ夫々控訴代理人主張の如き損害が与へられたりとするも、侵害者たる被控訴会社の使用人に於て、控訴代理人主張の如き権利、即、法律上保護せられたる利益を侵害すべき故意又は過失の認むべき何等の資料存せざるを以て、侵害者に故意過失が認められざる限り民法第七百九条・第七百十条に基く損害賠償の請求も亦失当なり」との理由を以て、上告人等の請求を排斥したり。然れども家庭的生活を営むを以て、本則とする人は、苟(いやしく)も相当の年齢に達せるものには妻子あるを以て原則とし、此等の者を死に致すときは、其の死亡に依り妻子の精神上財産上の権利利益を侵害し、其の妻子に対し損害を与ふるに至ることは何人も予見し得べきことに属し、此の予見し得べき事実を予見せざりしとすれば、★に過失ありと謂はざるべからず。而して、上告人等は法律上、定森徳市の妻子と謂ふ能はざるも、社会通念上定森徳市の妻子たり、上告人等の主張する婚姻予約権認知権と称するも、畢竟するに、社会通念上妻子としての権利を侵害せられたることを主張するに外ならず、工場法施行令第八条の如きも亦、上告人と同一状態の者あるべきことを予想し、職工の死亡当時、其の収入に依り生計を維持したる者云々と規定し、此等の者をも遺族と看做し遺族扶助料を支給すべきこととせり。之を要するに権利侵害の結果の認識に付ては、具体的に何人の如何なる権利と云ふか如き精細の認識を必要とせず、概括的に或種の権利と云ふ程度にて足るものなり。例へば、人を死に致す場合に於て、概括的に其の人の家族関係に基く何等かの権利を侵害する結果を生ずるやも知れすと云ふ程度の認識を以て十分なり。而して上告人等の主張する権利も亦、広き意味に於て一種の家族関係に基く権利にして、苟も相当の年齢に達する人には法律上正当の妻子あるか、若し法律上の妻子なきも内縁の妻子あるやも知れずとは、常識あるものの何人も想見する所に属するを以て、之を想見せざりしとすれば、★に過失ありと謂はざるべからず、加之(しかのみならず)、本訴に於て上告人等が請求する損害は、被上告人会社の使用人の過失に依て、亡定森徳市を死に致したることに因て発生したるものにして、斯の如き損害は事物通常の状態に依り当然に発生すべき性質のものなるを以て、被上告人に於て之が賠償の責任ありと謂はざるべからず、而して被上告会社に於て、本訴の損害賠償の義務ありや否の問題は、上告人等の主張する権利侵害に対する故意過失の問題にあらずして、被上告会社の使用人の過失に依り定森徳市を死に致したることと本訴損害発生との間に相当の因果関係ありや否の問題なり。而して上告人は、定森徳市の致死と上告人等の受けたる損害との間には相当の因果関係ありと看做すに十分なりと信ずるを以て、婚姻予約権、並、認知権侵害に対する故意過失等の問題を論究する迄もなく、因果関係の法則に因り、被上告会社に其の責任ありと謂はざるべからず。民法第七百十一条の規定は被害者の父母配偶者、及、子に対し精神上の苦痛を慰藉する為の損害賠償を規定したるものにして此等の者と雖(いえども)、財産権(例へば扶養を受くるの権利)侵害せられたる事を理由として、損害賠償を請求する場合は、民法第七百九条の規定に拠るべきものなることは、学者間に異論なき所に属す。而して原判決の如き論法を以てする時は、被害者に扶養を必要とする父母又は妻子の存在を認識するか、之を認識せざることに関し過失あるにあらざれは損害賠償を請求し得ざることとなる。然も、本件の如く未知の人を過失に依り死に致したる場合に於て、被害者に父母妻子の存在を認識すること絶対に不可能に属する次第にして、原判決の如き論法を以てすれば、之を認識せざることに関し過失ありとも云ふ能はず。結局、被害者の父母妻子と雖(いえども)、財産権侵害を理由とする損害賠償の請求は殆んど之を為す能はざることとなる。豈(あに(反語))、斯の如き理あらんや。之を要するに原判決が「控訴代理人主張の如き権利、即、法律上保護せられたる利益を侵害すべき故意又は過失の認むべき資料なし」との理由を以て、上告人の請求を排斥したるは、法律の解釈を誤りたる不法ありと信ずと云い、同第二点は「原判決は、加之(しかのみならず)、原審証人小林鉄蔵(第一,二回共)佐野音吉の証言、及、右小林鉄蔵証人の証言に依り真正に成立したりと認むべき乙第一号証当審証人加須屋定之の証言を綜合すれば、訴外徳市の死亡当時、控訴人寿雄を懐姙し居たる徳市内縁の妻たる控訴人重子、並、徳市の実父利之助外親族等は、徳市の死亡に依り、右重子並胎児(寿雄)、及、父利之助外親族等が、財産上及精神上の損害を蒙むりしとなし、之が賠償を被控訴会社に請求せんとするに当り、訴外小林鉄蔵に対し、損害金額の決定請求、並、受領の権限を授与し、同人は該権限に基き、同会社を代表する当該係員と交渉の末、被控訴会社より前掲徳市の親族及縁者等に対し、重子が寿雄を懐姙せる点をも考慮に加へ、金一千円を交付すること、同人等は爾後該事故に関し被控訴会社に対し何等の請求をも為さざることを約定し、被控訴会社は大正十五年三月二十日右徳市の親族縁者を代表する定森利之助に金一千円を交付したる事実を認むるに足る」と判示せり。然れども原判決は左記の不法あり。

 (一)上告人等は小林鉄蔵に対し損害金額の決定請求、並、受領の権限を授与したることなし。此の点に関し原判決は小林鉄蔵 佐野広吉乙第一号証加須屋定之の証言を綜合すれば云々、と判示せるも、小林鉄蔵の第一審第一回の証言中「会社から金を貰ふ様に交渉することになりました結果、利之助、及、重子其の他親族一同より証人に会社へ行つて交渉して呉(く)れ、何分宜敷(よろしく)頼むと云ふことでありましたので、証人が一人交渉に行きました」との証言あるも、原告代理人(上告人)の求めに依る判事の問に対して、「証人は重子の代理人として会社へ金を受取に行つたのではありませぬ。又、利之助の代理人でもありませぬ。只、立会人と云ふことて受取る際に立会つたのであります。会社から千円貰ふ交渉には、誰の代理人として行つた訳でもありませぬ。利之助なり重子なり其の他親族一同から会社よりは五百円少々しか出さぬと云つて居る、由て、あるから、少しでも多く貰つて呉れる様に交渉方何分宜敷(よろしく)頼むと云ふことでありましたのであります」と証言し、上告人等の代理人たることを否認し居れり。而して交渉なる文字の意味は必しも代理権の授与を意味せず、代理権なき者が単純なる話を為す場合にも、使用せらるるものなるを以て「交渉して呉れ宜敷頼む」と云ひしとて、之を以て直(ただち)に前示判決の云ふが如く、損害金額の決定請求、並、受領の権限を授与したるものと云ふ能はず、加之(しかのみならず)同証人の証言に依れば、被上告会社より金員を受領したる者は、定森利之助にして小林鉄蔵は上告人重子其の他の親族に対して金一千円を受領したることを秘し居る点、並、同証人の代理人たることを否認し居る点よりすれは(小林が重子の代理人なれば金員の受領を報告する筈なり)、上告人重子は小林鉄蔵に対し、原判決の云ふが如き代理権限を与へたるものと認むること能はざるに拘(かかわ)らず、原判決が訴外小林鉄蔵に対し損害の決定請求、並、受領の権限を授与したるが如く認定したるは、証拠に基かずして事実を認定したるの不法あるか、又、経験則に違背して証拠を採用したるの不法ありて、破毀を免れざるものと信ず。

(二)数歩を譲り、上告人石野重子が訴外小林鉄蔵に対し、原判決の認定する損害金額決定請求、並、受領の権限を授与し、同人に於て、該権限に基き、同会社を代表する当該係員と交渉の末被控訴会社より(中略)金一千円を交付すること、同人等は爾後該事故に関し被上告会社に対し何等の請求を為さざることを約定したりとするも、此の示談金一千円を被上告会社に於て、定森利之助に交付したることに依て、何が故に被上告会社か上告人等に対する義務を免れたるものなりや。此の点に関し原判決は「被控訴会社は、大正十五年三月二十日右徳市の親族縁者を代表する定森利之助に金千円を交付したる事実を認むるに足る」と説明せるも、右判決中の親族縁者を代表するとは親族縁者の代理人と云ふ意味なるか。若し然りとせば、定森利之助は如何なる原因に基き、親族縁者の代理人となりしか。尠(すくな)くとも上告人等は定森利之助に対して上告人等の分をも含めたる示談金千円の受領を委任したることなく、又、原判決摘示の証拠に依るも上告人等が定森利之助に対し斯の如き代理権を授与したりと認むべき証拠、毫も存在せず、或は、原判決は定森利之助は定森家の戸主なるが故に、親族縁者を代表する権限ありとなすにあるが、我法律上、戸主なるか故に当然に親族縁者を代表する権限ある旨の規定あるを見ず。之を要するに原判決の認定するが如く、代理人たる小林鉄蔵に依て損害金額一千円と決定せられたりとするも、上告人等は未だ右金員の交付を受けざるものなるを以て、被上告会社に対し、之が支払の請求を為す権利あるべく、随(したがっ)て、本訴に於ても金一千円の範囲内に於て、上告人等の請求を認容せらるべき筋合なるに拘(かかわ)らず、上告人等を代理する何等の権利無き定森利之助に金員を交付せられたりとの理由を以て、上告人等の請求全部を排斥したるは、法則違背の不法ありと謂はざるべからすと云ひ、同第三点は、上告人石野寿雄は原判決が認めて、示談契約成立し、示談金の交付ありたりと称する当時に於ては、未だ胎児たり。胎児は不法行為に依る損害賠償の請求に付ては既に生れたるものと看做す旨の規定あるも、這(これ)は、胎児が後に出生したる場合に出生の日を不法行為当時に遡及せしむる意味の擬制的規定に過きず、従て胎児は不法行為に依る損害賠償に付ても、胎児たる間は法律行為の当事者たること能はざるものなること明なり。原判決は「重子が寿雄を懐姙せる点をも考慮に加へて金一千円を交付すること、同人等は爾後該事故に関し被控訴会社に対し何等の請求を為ささることを約定し」云々と判示せるも、上告人石野寿雄は当時斯の如き示談契約に付て権利能力行為能力を共に有せざりしものなりしを以て、仮に斯の如き約定が被上告会社と定森利之助・石野重子等の間に存在したりとするも、上告人石野寿雄は該約定に拘朿せらるへきものに非ず。然るに原判決は胎児たりし上告人石野寿雄も亦前記示談契約に拘束せらるるが如く判示したるは法則違背の不法ありて破毀を免れざるものと信ずと云ふに在り

 按ずるに原審認定の事実に依れば、訴外小林鉄蔵は定森徳市の親族及上告人重子等より徳市の死亡に因る損害賠償に関して、被上告人と交渉し、賠償金額を決定して之を受領すべき権限を与へられ、折衝の末重子が寿雄を懐姙せる点をも考慮に加へ、被上告人より金千円を受領し、将来同人等は右事故に付き被上告人に対し何等の請求を為さざるべきことを約したりと云ふに在りて、原判決の挙げたる各証拠に依れば右の如き事実を認め得ざるにあらざるが故に、上告人重子の本件請求権は、仮令(けりょう(たとえば))其の成立を容認し得るとするも、★は右和解契約に因り消滅したるものと云ふ可く、従て損害賠償請求権の成立に関する上告人重子の上告理由は、結局本件の帰趨に影響なきこととなり。総て之を採用し得ざるは明なりと雖も、上告人寿雄の請求に付きては事情自ら異るものありて存す、即、寿雄は右鉄蔵か被上告人と和解の交渉を為したる際、未だ出生せず、重子の胎内に在りたるものにして民法は胎児は損害賠償請求権に付き既に生れたるものと看做したるも、右は胎児が不法行為のありたる後、生きて生れたる場合に不法行為に因る損害賠償請求権の取得に付きては出生の時に遡りて権利能力ありたるものと看做さるべしと云ふに止まり、胎児に対し此の請求権を出生前に於て処分し得べき能力を与へんとするの主旨にあらざるのみならず、仮令(けりょう)此の如き能力を有したるものとするも、我民法上、出生以前に其の処分行為を代行すべき機関に関する規定なきを以て、前示鉄蔵の交渉は、之を以て寿雄を代理して為したる有効なる処分と認むるに由なく、又、仮に原判決の趣旨にして鉄蔵か親族の重子等を代理し又は自ら将来出生すべき寿雄の為に、叙上の和解契約を為したることを認めたるにありと解するも、被上告人は寿雄の出生後同人の為に鉄蔵の為したる処置に付き、寿雄に於て契約の利益を享受する意思の表示せられたる事実を主張せず、原審も亦、此の如き事実を認定せざりしものなるを以て、鉄蔵の為したる前記和解契約は、上告人寿雄に対しては何等の効力なきものと云はざるべからず。仍(よっ)て、上告人寿雄が、徳市の死亡当時既に出生し居りたりとせば、徳市の死亡に因り損害賠償請求権を取得し得べき地位に在りたるや否に付き審究するに、上告人重子は、徳市の内縁の妻にして、旦徳市は、本件事故に因り死亡し、寿雄を私生子として認知したるものにあらざれば、寿雄は遂に徳市の子としての地位を取得するに由なかりし者なるを以て、同人の身分は、民法第七百十一条列挙の何れの場合にも該当せさるが故に、同条に基く上告人寿雄の慰藉料請求は之を是認し得ざるものなりと雖(いえども)、上告人の主張する如く、重子にして果して徳市の内縁の妻として同人と同棲したる者にして上告人寿雄は其の間に生まれたる者なりとせが、寿雄は尠(すくな)くも徳市の収入に依り生計を維持するを得可かりし者にして、寿雄は徳市の死亡に因り如上の利益を喪失したるものと云ふを得可し。而して民法第七百九条に依る損害賠償は厳密なる意味に於ては権利と云ふを得ざるも、法律上保護せらるべき利益に該るものの侵害あり、其の侵害に対し不法行為に基く救済を与ふるを正当とすべき場合に於ては、之を請求するを得るものにして(大正十四年十一月二十八日言渡当院同年(お)第六二五号判決参照)、寿雄が徳市の生存に因り有したる右利益は、民法第七百九条に依り保護を受く可き利益なりと認むるを相当とするのみならず、他人を傷害したる場合に於て、其の者に妻子或は之と同視すべき関係に在る者の存じ、如上行為の結果此等の者の利益を侵害すべきことあるは当然之を予想すべきものなるを以て、本件に於て被上告人は其の被用者が徳市を傷害したるが為、上告人寿雄の利益を侵害したるに因り、上告人の被る可き損害を賠償すべき義務あること多言を要せずして明なるが故に、若、被上告人にして徳市の死亡に付き其の責を負ふ可きものとせば、原審は尠(すくな)くとも、財産上の利益の損失に関する上告人寿雄の請求は之を容認す可かりしものと謂はざる可からず、然らば、原審が上告人重子の請求、並、慰藉料三千円に対する寿雄の請求を排斥したるは、結局正当にして、右説示に反する上告人の所論は、之を採用すべからざるものなりと雖(いえども)、原審が上告人寿雄の二千六百三十五円三十四銭の請求を棄却したるは失当たるを免れざるを以て、原判決は此の部分に付き破毀せらる可きものとす。仍(よっ)て、民事訴訟法第三百九十六条第三百八十四条第九十五条第八十九条第四百七条第一項に則り主文の如く判決したり

 

関係法令

(和解)
第六百九十五条  和解は、当事者が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることを約することによって、その効力を生ずる。
(和解の効力)
第六百九十六条  当事者の一方が和解によって争いの目的である権利を有するものと認められ、又は相手方がこれを有しないものと認められた場合において、その当事者の一方が従来その権利を有していなかった旨の確証又は相手方がこれを有していた旨の確証が得られたときは、その権利は、和解によってその当事者の一方に移転し、又は消滅したものとする。

 

(不法行為による損害賠償)
第七百九条  故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
(財産以外の損害の賠償)
第七百十条  他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。
(近親者に対する損害の賠償)
第七百十一条  他人の生命を侵害した者は、被害者の父母、配偶者及び子に対しては、その財産権が侵害されなかった場合においても、損害の賠償をしなければならない。

(損害賠償請求権に関する胎児の権利能力)
第七百二十一条  胎児は、損害賠償の請求権については、既に生まれたものとみなす。

(嫡出の推定)
第七百七十二条  妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
2  婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。

 

(認知)
第七百七十九条  嫡出でない子は、その父又は母がこれを認知することができる。

(認知の方式)
第七百八十一条  認知は、戸籍法 の定めるところにより届け出ることによってする。
2  認知は、遺言によっても、することができる。

(胎児又は死亡した子の認知)
第七百八十三条  父は、胎内に在る子でも、認知することができる。この場合においては、母の承諾を得なければならない。
2  父又は母は、死亡した子でも、その直系卑属があるときに限り、認知することができる。この場合において、その直系卑属が成年者であるときは、その承諾を得なければならない。

(認知の効力)
第七百八十四条  認知は、出生の時にさかのぼってその効力を生ずる。ただし、第三者が既に取得した権利を害することはできない。

(認知の訴え)
第七百八十七条  子、その直系卑属又はこれらの者の法定代理人は、認知の訴えを提起することができる。ただし、父又は母の死亡の日から三年を経過したときは、この限りでない。

 

(親権者)
第八百十八条  成年に達しない子は、父母の親権に服する。
2  子が養子であるときは、養親の親権に服する。
3  親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。ただし、父母の一方が親権を行うことができないときは、他の一方が行う。

 

(監護及び教育の権利義務)
第八百二十条  親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。

 

(財産の管理及び代表)
第八百二十四条  親権を行う者は、子の財産を管理し、かつ、その財産に関する法律行為についてその子を代表する。ただし、その子の行為を目的とする債務を生ずべき場合には、本人の同意を得なければならない。